創設者 佐々木耕郎について
創設者 佐々木耕郎
岩手県盛岡市の市長を務めた北田親氏の家に生まれ育ち、1917年(大正6年)、同年、古河電気工業株式会社へ就職。
その後の人生の大半を栃木県日光市で過ごす。1945年11月に株式会社別倉製作所他2社を立ち上げ社長に就任。
- 1895年8月
- 北田親氏(盛岡市長)三男として生まれる
- 1917年4月
- 古河鉱業株式会社日光電気精銅所入社
- 1943年1月
- 古河電気工業株式会社日光電気精銅所勤労部長
- 1946年9月
- 栃木金属工業株式会社社長
- 1950年11月
- 株式会社別倉製作所社長
- 1953年3月
- 株式会社親和会社長
- 1966年6月
- 日光観光開発株式会社取締役社長
- 1975年9月
- 有限会社フィールドアスレチック自楽園社長
- ▽政治活動 ▽賞罰
- 1951年(昭和26年)4月
- 栃木県議会議員選挙で当選
- 1953年(昭和28年)3月
- 栃木県の日光町長へ当選
- 1954年(昭和29年)2月
- 市制制度により、初代日光市長就任。市長在任中には観光施設税の導入や観光施設の整備など、日光市が国際観光都市として発展する基礎を構築した。また、し尿処理場やごみ焼却場の整備など、市民の健康、福祉の充実にも力を注いだ。なお、佐々木耕郎はボーイスカウト栃木連盟会長や栃木県スケート連盟会長も務めており、社会教育の充実にも尽力した
- 1956年(昭和31年)5月
- ボーイスカウト日本連盟総長から功労者として鳩章を授与
- 1963年(昭和38年)5月
- ボーイスカウト日本連盟総長から功労者として鷹章を授与
- 1966年(昭和41年)11月
- 勲五等双光旭日章を賜与
- 1969年(昭和44年)10月
- 文部大臣から体育功労者表彰
- 1970年(昭和45年)7月
- 建設大臣から砂防功労者表彰
- 1969年(昭和44年)
- 日光市長退任(日光市長4期)
- 1971年(昭和46年)2月
- 日光市名誉市民に推挙
- 1972年(昭和47年)5月
- 日光市所野公園に銅像が建立
- 1975年(昭和50年)5月
- ボーイスカウト日本連盟総長から特別感謝章授与
- 1976年(昭和51年)
- フィールドアスレチック自楽園の運営を開始し、青少年の野外活動を基軸に幅広い事業展開を進める
- 1978年(昭和53年)
- 内閣より正六位 受勲
- 1978年(昭和53年)
- 佐々木耕郎 逝去(日光市民葬)